大きな歓声が耳に響き渡る。地面が揺れるような大きな歓声。
(やった!!俺はやったんだ!)
冷静を装いながらも手は震えていたし、気持ちを抑えられずにガッツポーズを決めたい気持ちだ。でもスポーツマンシップに乗っ取り、勝者こそ謙虚な振る舞いをするのは俺の美学だった。ポーカーフェイスを装い、何もなかったように、その場に立っていた。
歓声がどんどん大きくなる。
やっと落ち着いてきた。女房役のあいつを見ると泣いている。
(そう、こいつは涙もろいやつで、2年前に俺たちがタッグを組んで初めて勝利した時も泣いてたな)
それが高校3年生の夏。それから、俺は予定通り、その年にドラフト入りしてプロ野球選手になった。
中学生の頃から地元のスター選手だった俺には、高1からスカウトマンからの話は軽くあったし、1年からレギュラーで4番だったから予定通りだったのだ。
プロ生活は、田舎を出て東京に住んだ。試合の最中に女手一つで育ててくれた母が亡くなって泣きながら打席に立ったのは痛烈に覚えている。プロの道は厳しく上には上がいる事、「頑張れば報われる」は嘘な事、神様はいない事をプロの世界で初めて知った。それでもプロ生活は27年。プロ野球の世界では、とても長く活躍できた。ありがたい。45歳で引退した。そうそう、途中、20歳で結婚して子供もできた。もう息子は25歳で会社員になっていた。
ボーっと庭を見ている俺に
「ねえ、田舎の空き家の掃除に行かないとね」
と妻が言った。その声にハッとした。2時間くらい、ボーっとしていたようだ。
「仕事を辞めてから、もう2年か。早いよね!」
妻は東京生まれの東京育ちの都会しか知らない女で、田舎に行った時は、最初の1日2日は物珍しそうに海や山を楽しんでいたが、3日目になると「退屈で嫌だ」と悪気なくいう女である。でもそういうところも、相変わらず好んでいる。
「そうだな。時間もあるし次の週末は行こうか」
移動時間は電車で6時間。1日かけて移動するほどの田舎だ。
一通りの掃除を終わり、こんなふうに、ゆっくりと泊まりに来るのは何年振りだろうか?と考える。
まだ息子が小学生の頃だから、15年くらい前かな?母が亡くなった時は慌ただしくてゆっくりはできなかったし、数年に一回、妻が掃除をしにきていたが自分はもう何年も来ていなかった。こんな田舎でも、当たり前だが固定資産税は毎年来るし、ガタも来るので修繕費用もかさんでいた。売ることも考えるが、思い出があるので売りたくはない。しかし、息子に迷惑はかけたくないので、私たちの代で処分しなければと、移動の間に考えていた。
翌日、近所をドライブした。なんとなく自分が通っていた高校のグラウンドへ行ってみた。
野球をしているおっさん達がいる。(自分もおっさんなのに)と笑いが込み上げる。なんの気なしに見ていると、一人のおっさんがこっちに手を振っている。
なんと女房役のあいつだった。あの日以来、話していなかったあいつだった。
「帰ってきとるん!一緒にやろうや」
他の会話など一切なく野球に加わった。
あっという間に時間は経ち、楽しい野球の時間は終わった。結果は、もちろん、こちらのチームの勝ち。
俺たちのタッグにかかれば負けない、ずっとそうだったしな。
「お疲れ!」
あいつが麦茶を差し出した。
「ありがとう」
俺は、一気に飲み干すと
「楽しいな、野球は」
と、あいつに言った。
あいつも麦茶を飲み干して
「そう、楽しいな野球は…….また楽しい野球をやろう!」
と右手を差し出してきた。俺たちは握手をして
「じゃあな!」
と別れた。
あの日のように……..
車に乗ると目の前がぼやけて前が見えない。俺は泣いていたんだ。
車を道の端に停めて大声を出して、号泣した。
「お帰りなさい!あれ飲んでるの?目が赤いよ」
「いや、車だろ。飲んでないよ。」
「ふーん。まあいいや。あ、ねえねえ民泊って知ってる?」
妻がチラシを見せてきた。空き家✖️民泊と載っている。
「これ、ポストに入ってたの。私、都会育ちだから、今になってすごく田舎の家って落ち着くなあって思うんだよね。こーいうのたまにはいいなって。あなたは処分も考えているって新幹線で話していたけど、あなたのたくさんの思い出が詰まったこの家を、私は売りたくないなって思うんだよね。一度、話を聞いてみようよ」
と妻は言った。
「退屈で嫌じゃなかったか?」
と言うと
「あの頃は若くて子供も小さくて。でも今は子供も巣立って、私たち二人よ。仕事も退職して時間もあるし、民泊事業を取り入れて残りの人生を、予約が入った時に遊びにきたりする2拠点の生活をするのも楽しいよね。
仕事があれば生活に張り合いもできるし。田舎だから毎日、お客さんが来て忙しいなんてないし笑
私たちの良いペースで、マイペースな民泊ができそう。何よりも思い出のあるこの家を子供にも残せるじゃない。それが嬉しい」
と妻は笑った。
エピローグ
あいつは泣いていた。俺はポーカーフェイスで立っている。俺とあいつの視線の間に、違う色のユニフォームが入ってきてホームベースを踏む。それは1人、、、2人、、、、3人、、、、、4人。
数が増えるごとに、地面からの大歓声。
俺は何が起こったのかわからずに、相手チームが戻ってきた走者に駆け寄って抱き合うのを見ていた。
そう、俺たちは、2アウト満塁で、逆転満塁ホームランを打たれて負けたんだ。
あの時、あいつのサインは右下だった。ゴロを打たせてアウトを取る作戦だ。でも俺はストレートを投げたんだ。
プロに入る事は、ほぼ決まっていた俺は、【2アウト満塁をストレートで真っ向勝負で抑えた】という看板を背負ってプロになりたかっただけの身勝手な理由で、チームの勝利を捨ててしまったんだ。
あの時、あいつは、俺に駆け寄って泣きじゃくって
「お前との野球は楽しかった」
「じゃあな!」
って。
握手もせずに歩いて行ったんだ。
「そう、楽しいな野球は…….また楽しい野球をやろう!」
ずっとしたかった29年目の握手だった
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